今から三百五十年ほど前のこと、相模湖町山口の正覚寺に鎌倉建長寺の第二百一世・萬拙(ばんせつ)和尚がやって来て、「建長寺の山門建立のため欅を寄進してもらいたい」と住職に頼みました。住職は萬拙和尚を手厚くもてなし、「喜んで山門柱を寄進致しましょう」と約束しました。
萬拙和尚はその礼として一幅の書をさらさらと認め(したため)、正覚寺に一晩泊まって帰山しました。この書は今なお、正覚寺に現存しています・・・。ところがその頃、「建長寺の裏山には三百年も棲みついている古狸がいる」という、まことしやかな風評が流れていたらしく、それが元になって「この古狸が勧進の続きをするため、正覚寺にやって来た」という狸和尚伝説が語り継がれることになりました。そもそもこの狸は、長いこと建長寺の裏山を棲み家にさせてもらっていることに感謝し、建長寺の恩に報いる機会が到来することを待ち望んでいました。そして、正覚寺から山門柱のほかにも何かを寄進してもらえれば建長寺のためになると考えたのでしょう、早速、萬拙和尚に化けて正覚寺の門を叩きました。そして、この狸和尚は首尾よく住職に寄進の約束をさせたのです。
久し振りに人里に出て浮かれた気分になっていた偽和尚は、甲州街道の小原本陣に一泊してご馳走にありつく次第となりました。その晩、狸和尚は女中さんに「犬は必ず繋いでおけ、また、決して食事中に部屋をのぞいてはならぬ」ときつく申し付けて、自分の部屋で一晩を過ごしました。翌朝、和尚は何食わぬ顔で、次の勧進先である法林寺からの迎えを待っています。ところが、部屋を掃除しに来た女中さんは、和尚の寝床に獣の毛がこびりついているのを見てびっくり仰天。法林寺からの使いの寺男を物陰に呼んで、事のてんまつを告げます。「さては、もののけか」と感づいた寺男はその夜、和尚の正体を見破ろうと様子をうかがいました。風呂を勧めて「湯加減はいかがですか」と問うと、ボチャボチャという音と共に、「ちょうどいい按配じゃ」という声が返って来ます。しかし、節穴からのぞくと紛れもなく狸が尻尾で湯をたたいているではありませんか。風呂から上がった和尚に夕食の膳を運ぶと、和尚は「給仕はいらぬ。犬は繋いだか」と言って、寺男を追い払います。そして、寺男がこっそり障子の隙間から様子をうかがうと、お膳や畳の上に御飯をまき散らかし、箸も使わず口をつけてはベチャベチャと食べています。「これは間違いない」と考えた寺男は、夜通し和尚を見張ることにしました。すると、たれもが寝静まった丑三つどき、和尚が用を足しに起きて来ました。「よし、今だ」とばかりに寺男は和尚めがけて犬を放ちました。「キャン、キャン」と、喜び勇んだほえ声を上げた犬は一目散に和尚に飛び掛かり、腕に噛み付きました。すると和尚はたちまち正体を現し、一匹の狸に姿を変えました。すかさず寺男は手近にあった斧で狸の首を切り落としました。不思議なことに、しばらくたつとその首は再び人間のものに変わったそうです。仏様が狸に慈悲をお与えになったのでしょうか。法林寺の寺男はその首を木箱に納め首実検のため建長寺に運ぶ道すがら、まず正覚寺に立ち寄りました。
そして、木箱の蓋を開けると、首は一個の人面石とはしていたのでした・・・。
この人面石は、今も正覚寺に現存しています。 (津久井の文化財資料より一部抜粋) |